会誌-「サークル水月会誌 第5回」

■ リアクション5−1  (独立暦401年水の月)


 セルフィアーには、「海」がない。
 島にとって海とは外界との接触の窓口であるはずだが、400年前から衰えることなく存在する「結界」が、人の往来を阻んでいる。セルフィアーの人間にとっての海は、川と同じく都市をつなぐ道であり、生活の場であるにすぎなかった。かわりに、「湖」がある。いくつもの湖と湖をつなぐ川。メール内海も、海というよりは湖に近い。
 つまり、極めて閉ざされた世界なのだ。その気になれば一節でひとめぐりすることもできる──もっとも、このセルフィアー最強最速の船「飛竜号」の足あってこその技だが。
「本気ですか、船長?」
 飛竜号の事務長、ニールス・サンチェは呆れ顔をした。
「『お気楽極楽ツアー』? 今がどんな時だか、知らないわけではないでしょう?」
「もちろん知っている。だからこそだ」
 のんびりと一節かけて交易して、スィスニアに戻ろうとして、昔の悪友ナグモ・リューンがクーデターを起こしたことを知った。歴史の商人、いや証人になる絶好のチャンスを逃したのをさんざん悔やんでいたところに、「三大兄弟」の手下が傘下に加わるよう要請してきたのだ。
 三大兄弟とは、スィスニアの経済を牛耳る有力な三商家「バルザ家」「メルキ家」「カルス家」による巨大財閥のことである。「カルス家」の当主の姉妹(きょうだい)のうち長女がメルキ家の当主に、三女がバルザ家の当主に嫁いだため、現在の当主三人は義理の兄弟の関係にある。
 スィスニアには昇竜会という組織がある。蜘蛛会からは外部組織と認識されているが、それは昇竜会が党派やイデオロギーとは無縁な組織であること、それに竜眸石を取り扱う唯一の組織であることが大きい。星薬会に手を出さないのと同じ理由である。
 その昇竜会を乗っ取ろうとしているのが「三大兄弟」だ。むろん、ファン・フェイロンは配下に降る気などない。丁重にお断りしてやったところ、彼らは無礼にも、いや無謀にもこの飛竜号に攻撃をかけてきたのである。もっともサンチェに言わせればあれは「丁重にお断り」ではなく「挑発」であるのだが、とにかく一度撃退してやったら、なんと今度はスィスニア軍を連れてやってきたのだ。
 つまり、今回のクーデターを援助していたのは三大兄弟だったのだ。気に食わないが、スィスニアの軍と事を構える気はさすがにない。機を見て離脱し、ウォウルへとやってきた。
 ウォウルで状況把握のため情報収集に手を尽くし……出た結論がこれだ。
「オレは独立商人だ。一般人なんだ。各邑の指導者たちを見てみろ、大規模な戦こそ起こっておらんがスィスニアからはオレのように善良な邑民が追われているし、スウィズの勝手な言い分に振り回されたシーランの連中の末路なんぞも知れている。戦いたい奴は勝手にしろ、だが問題なのは、自分の意に反して戦ったり、無関係な連中が不本意に苦しんだり命を落としたりすることだ。そいつらにエライ奴らが何をしてくれる? アテにできるものか。結局、自分の命、自分の自由、自分の大切なものは自分自身の手で守らねばならんのだ。その意志を貫くためには、『自由独立』な存在であり続ける必要がある。だからオレはこの船で行く」
 と一応筋を通しておいてから吐き捨てる。
「言っておくが、オレは伊達や酔狂でやってるんだからな」
「そんな事、分かってますよ」
 サンチェはため息をついた。フェイロンの気持ちはよく分かっている。彼のモットーは「自由・自立・自主・自尊」である。その筆頭たる「自由」に干渉されて相当頭にきているのだ。だからといって徹底抗戦、などと言い出さないところが彼の彼たるゆえんであった。
 戦乱の時代はたしかにそこまで来ている。時勢、時流、というものが避けられぬ事は承知の上だ。だがそれに妥協するには彼の精神は先を行きすぎていた。時代への反抗。運命への反抗。そしてこの飛竜号も、この時代に存在するには高度すぎる性能を備えていた。

 飛竜号の中は広い。見かけよりもはるかに広い。内部は亜空間結界になっており、7つの結界石によって維持されている。帝国期には空間湾曲技術により亜空間を創造・維持する術法が存在したという。宝器術法は、独立戦争期、言霊人(イシス)に対抗するため忘人(チャーズ)(術法が使えなくなった「堕ちた」言霊人)の協力を得てあみだされた法であるから、当時の技の一端を受け継いでいたとしてもおかしくはない。
 もっとも一度は失われたといわれる法である。充分な知識と霊感応力、霊指向力を備えた者でなければおこなうことはできまい。
 それはそうとして、広い船内である。フェイロンも知らぬ仕掛けがいくらでも施してあるらしい。そんな船内を、1人の少女が熱心に掃除していた。
「それくらいでいいわ、きりがないよ」
 ナルスの女性が声をかけたが、少女は首を横に振った。
「私、何もできませんから」
「あたしだって、この船内では何もやってないよ。ゆっくりしなよ、セルフィア」
 セルフィア、と呼ばれた少女は困ったように俯いた。
 この少女は、ウォウルに来る途中に拾われた。セルファニア湖の湖面に浮いていたのだ。大勢の魚が、彼女の回りを取り巻いていた。フェイロンが飛び込むと、魚たちはどこへともなく去った。託すべき人だと悟ったかのように。
 傷ひとつなかった。ただ、ひどく疲労していた。星薬会仕込みの薬で体力はすぐに回復したが、彼女は自分のことを何一つ覚えていなかた。よほど恐い思いをしたのだろう、とティア・カレン──このナルスの女性──などは思ったものだが、霊力の強い者は、むしろ彼女の性のためだろうと言った。
 フェイロンが彼女をセルフィアと呼ぶので、いつか余人もそれに倣うようになった。セルフィアー、と伸ばせば「自主自立」「独立国」といった意味あいになるが、セルフィアと言うと集めるという意味になる。沢山の魚を集め守らせた力の持ち主。その手の指は白く細く、とても労働をしたことがあるとは思えなかったが、手先は器用なようで、すぐに仕事を覚えた。
「ほんとうに、何も覚えてないの?」
 セルフィアはこくりと頷いた。美しい少女だ。どこかで、見たことがあるような気がする。幼くして気品を備え、強い霊力の持ち主。水の力。ましてや彼女を見つけたのはスィスニアのクーデターの翌日だった。
 彼女は、まさか……。
 いや、もしそうだとしても、今の情勢でこの子を家族の元に返すわけにはいかない。この子は、しばらくこの飛竜号で預かっておいた方がいいだろう。飛竜号の中は、この世界のどこよりも安全なのだから。

 今さら言うのも何だがオレは統一成った後ナタケに一歩引かせてウォウルを盟主とするつもりだった。ウォウル邑人口10万、対してスウィズ邑は4万そこそこだ。至極、現実的な判断だろう。これは、オレ一人で考えていたプランだ。当然だな、万が一ライル社の連中に知られたら絶対反対される。だからナタケにすら言ってない(多分ナタケ、あとカッシュ(商局長)は賛成するだろうが)。最終段階で静かに、迅速にケリをつけるつもりだった。それにしても、何故オレがクビになったのか、いまだにわからん。ウォウルはスィスニアと敵対し、スウィズもスィスニアと敵対している。条件はそろっているのだが。オレの信念については「ナーラダ族統一」と話した。あれだけ言ってまだわからんというのなら余程のアホウか元々統一の意思などなかったかのどちらかと判断せざるを得ん。オレはヴィレクを高く買っていたのだが……。オレを危険視したのかもしれんが、あんな追い出し方はマズかろう。その上でスィスニア=スウィズ=シーラン同盟を立ち上げウォウルに攻めてきたらヴィレクは一体どうするつもりだったんだろう? 果断というより軽率すぎはせんか。……まあいい、ヴィレクの頭の中がウォウルを大きくするという邑意識だけでできているなら無用であるばかりか、有害だ。「大義無き力は有害でしかない」障害なら消すまで。オレは統一のために動く。そして、ナタケも。ヴィレク、オレ達の統一への信念、篤と見よ!
                          [元綱氏のキャラシートより]

「スウィズからの使者?」
 ヴァシュナ・シリルはかるく眉をひそめた。スウィズといえば施術宝器を大量生産し人間兵器化をすすめているともっぱらの噂のあるライル社の本拠。一応前回書簡は出したが、それは「全ての邑との話し合い」という建前のため、そして渦中の邑の一つであったからだ。何を言ってこようというのだろう。
「会います」
 シルキーヌはにっこりと笑った。シリルは頷く。会って損にはなるまい。
 使者は公式の礼服に身を包んでいた。さすがに鎧甲刀剣をまとうような無礼はしないが、しかし服からは常ならぬ気が発されていた。シルキーヌは表情こそ動かさなかったが、少し瞳が揺れた。
「お気づきですか。……敵地ゆえのこと。お許し下さい」
「いえ、いいのです。それより、用向きは?」
「わがスウィズは、ルシャナ財団に資金を援助させていただこうと思っています。……信じてはいただけないかも知れませんが、我らが主ライル・ナタケは、一時も早い乱世の終結を望んでいるのです。その点で我々とルシャナ財団とは理想が一致しています。それと、全ての邑の話し合いをするというご提案を実現すべく、全力を挙げて協力させていただきます」
 男はそういう内容のことを四半刻ばかりしゃべった。
「ありがとうございます」
 といって帰したものの、二人の心中は複雑だった。
「……かなり強い宝器でしたね。あれなら刀剣槍戟も全く通さないでしょう」
「ええ……少し、気分が悪いわ……もう大丈夫だけれど」
「平和を望んでいる、と言っていましたね」
「信じられると思いますか?」
「……さあ」
 シリルは少し考えて言った。
「きっと、どこの邑の長も平和を望んでいますよ。それぞれに違う形の平和をね」
「戦乱の末の平和を……?」
「そういうところもあるでしょう」

「ライル社の独裁圧制支配からスウィズの人民を解放する!」
 いつからそういうことになったのかは誰にもわからない。確かに1節前まではスィスニアの世論は「ウォウルを撃つ」ということ一色に染まっていた筈だった。敵がいつのまにかすりかえられていることに気づいた者は、「ウォウルを討つためにはまずスウィズを討たねばならない」と読み変えた。
 リューンの世論操作は全く見事だった。彼自身、楽しんでやっているふしがある。軍をあやつり、民をあやつり、時流を動かしていく。その結果も勿論重要だろうが、あきらかに経過を楽しんでいる。
 そのうえでシーランに使者を出して同盟を求め……実は、脅迫したのだった。

 ライル社商局長ハウザー・カッシュと外局長サイク・ルヴァログはシーランに入城した。どうも剣呑な雰囲気だ。衛兵達は通してはくれたが、二人に向ける視線は微妙な不安、不審の念を含んでいる。そしてそれは、邑宰の間に通されても同じだった。
「ははあ、スィスニアから圧力がかかったな」
 ルヴァログは左右を見回しながらからからと笑った。
「どの顔も陰気だなあ。もうすこし緊張をほぐした方がいいよ」
「黙りなさい、よそ者! われわれはあなた方よりもスィスニアに近いところにいるのですよ! 先に攻め込まれるのはスウィズではなくシーランです!」
「まあまあ邑宰丞、少しは黙って下さい」
 外吏長が口を挟んだ。
「お二方も聞いてくだされ。二日前、スィスニアから使者が参りましてな。こちらにつかねばシーランを我がものにすると、そう言うのですよ。如何いたしますかな。そちらが援助していただけるならよし、こちらとしても座して滅ぼされるのを待つわけには参らぬのですが」
「スィスニアは来ませんよ」
 カッシュは断言した。
「何故、そう言い切れる?」
 庫吏長が問うた。カッシュは胸を張る。
「今、スィスニアは孤立しています。当然ですな、あのルシャナ家を追放したのですから。大体スィスニアと申しましたが、今のスィスニアはナグモ・リューン──反逆者のスィスニアであって、昔のあの大邑スィスニアではありません。しかも背後にウォウルという大敵が居ます。来るはずがない」
「しかし口でそう言われても信じかねますな。そちらの誠意を見せて戴かねば」
「そう言われると思いました。スィスニア軍が南下した場合に備え、シーラン北方にライル社の協力で堅塁を築かせていただきます。連弩ライル壱型も、さらに施術宝器もお貸しいたしましょう。それにせよ、こちらは篭もって出ずにおればよいのです。スィスニアは必ず撤退します」
「信用してよろしいのでしょうな?」
「むろんその他にも様々手は打ってあります。シーランはスウィズが全力をもって守ります」
「……邑宰、いかがいたしますか」
 邑宰丞もしかたなく邑宰にはかった。
「スウィズを信頼しよう」
 少年はそう言った。カッシュとルヴァログは顔を見合わせてニヤリと笑った。

 スィスニア軍は大挙してシーランへと押し寄せた。脅迫の使者を送ってから4日後のことだった。初めからシーランがなびくとは思っていないのだ。スウィズは不意をつかれた。全く予想していなかったわけではないが、まさかこんなに早いとは。
 まだ、シーランに約した堅塁も物資も手配できていない。スィスニアは全軍をもってシーラン場外に布陣した。シーランはスウィズへ救援を求める。
「慌てるな、少し待てば自然に退くから」
 ハデンはさわがずそう言ったが、いちおう援軍を出しておかねばシーランとの友好関係にひびが入る。かといって全軍を挙げて動けば、スィスニア軍は川を下ってスウィズを直接衝くかもしれない。
「兵局長、壱軍を連れてシーランを助けてください」
 ナタケに命ぜられ、ディグ・カイルはすぐに出ていった。
「大丈夫でしょうか?」
 問われたが、ハデンは頷いたのみで何も言わなかった。あまり正々堂々とした策ではなかった。

 蒼龍紅蓮団……世に言う賊の類である。スィスニアの近辺を拠点とし、数は200〜500といわれているから賊にしてはけっこうなものだ。
「頭、スィスニア軍が動きましたぜ」
「よし」
 頭と呼ばれた巨漢は、のっそりと立ち上がって部下たちを見回した。
「お前ら、やるべきことは分かってるな?」
「へい」
「オレ達が今日まで悪評を高めてきたのもこの時のためだ。思いっきり暴れてやれ!」
「応!」 
 抜いた剣や刀にはあきらかに霊力のこもったものも多い。皆が皆、しっかりした造りの革鎧をつけていた。そして全員騎乗する。旗を一振りすると一斉に山をくだり、スィスニアの外郭の建物に火を放ち、駆けつけた衛兵達と派手に斬りあいを演じた。戒厳令の街のこと、民衆に被害者はさして出なかったが、このことはすぐ前線のナグモ・リューンのもとに報ぜられた。

 スィスニア兵が出るのを待っていたのは蒼龍紅蓮団だけではない。ヴァシュナ・シリルの命を受けた特務部隊の者たちも、その時を今か今かと待っていたのだ。ラファエロ・ティフォートも、ルシャナ財団の元に利剣を置いたまま、スィスニアの街に舞い戻っていた。警戒の薄くなった街でひそかに連絡をとりあい、知人に同志を求める。蒼龍紅蓮団の騒ぎもあって、よけいに街部に衛兵の少なくなった隙をついて、彼らをスィスニアからウォウルへと連れ出した。ナーガ神殿のシルキーヌ、シリルに引き合わせ、協力を仰ぐ。そのついでに、スィスニアの情勢をふたりに知らせた。
「しかし、ウォウルではなくスウィズを先に攻めるとはね」
シリルは腕を組んだ。
「よく、兵がついてきたものだ」
「考える間を与えなかったのでしょう。それに、兵達には人望があったものね」
 シルキーヌは微笑した。
「吏には、煙たがられていたけど……」
「スィスニア人が、何人死ぬでしょうね」
 ティフォートに言われて、シルキーヌは俯く。
「死にたくて死ぬ人は止める気はないけれど、巻き込まれて死ぬ人は救いたいわ。あの賊も、おそらくはスウィズの手先の者……罪のない者が死に、関係のない建物が壊されてゆく……」
「……優しいのですね」
「そうじゃないのよ、ティフォート」
 シルキーヌは毅然として顔を上げた。
「私個人の感情の問題じゃないわ。これはナーガ大司祭としてのねがい。ナーラダを、人々を、社会を──すべてを活力溢れる状態に保っておくこと、これが私の使命ですわ」
「シルキーヌ……」
 シリルは大きく頷いた。
「今の言葉、そのまま檄文に使えると思う。ルシャナ財団設立を布告し、存在をアピールするための檄文の冒頭に。使っていいかい?」
「え、ええ。任せるわ」

 「スィスニア襲撃さる」の報を聞いたリューンは、さすがに考え込んだ。
「スウィズの援軍が早いところ到着してくれないものかな。そうせぬとこちらの方も手は打ち難い……」
 兵に知られては士気にかかわる。まず勝ってしまうのが上策だが、今、シーランを陥としてしまってはスウィズは城壁の中にたてこもってしまうだろう。
「スウィズ軍はあと何日で到着する?」
「あと、まる1日はかかります」
 スウィズ──シーラン軍を充分引きつけてからという予定であったが、今この眼前の敵は打ち捨てて先に行くべきだろうか、と考えていると、
「兵吏長どの、会いたいと申す者がおります」
 衛兵が一人の男を連れてきた。その服装風貌を見るに、黄縁白服に黒帯を締めた妙な装いに、シャル族の栗髪紅眼、痩身短躯の20歳ばかりの男である。
「何だ」
「リューン将軍に戦勝をお授け致そうと思い参りました。我が名はフェイティエン=キース、ディヤウスの神官です」
「ディヤウスか……」
 リューンは神を信仰してはいない。ディヤウスの神官達がライル社を目の敵にしているのは知っているが、だからどうしようというのだろう。
「スィスニア軍に協力して差し上げようと言っているのです。スウィズは商人の街ゆえ、通行人の管理はきわめて緩いことは以前のスィスニアと同じであります。堅い城壁はこのたびのような兵事に対しては、絶大なる威力を発揮することでしょう。スウィズの兵器はきわめて陰惨無情、強大無比のものが多く、このまま正攻法で攻めてはリューン将軍の指揮力をもってしても、スィスニア軍の全滅は必死です。くりかえしあえて申します、今のままではスィスニア軍は全滅します」
「無礼な奴……!」
 剣に手をかけた兵を、リューンは黙って制した。
「で、貴公らは我々に何をしてくれるというのだ」
「まず、これを」
 懐に手を入れ、一振りの短剣を掴み出す。周囲の者は色めき立ったが、どうやら刃はついておらず、実用に耐える代物ではなさそうだった。
「何だ、これは」
「ヴィシュヴァカルマン神殿より貸与された神器です。この剣より周囲100米以内にある異気はすべて地に還ります」
「異気、とは」
「ヴィシュヴァカルマンの契印のない宝器や、人に召喚された精霊の類です。これがあれば大量生産型の宝器は力を失います。ただ、発動には竜眸石を必要といたしますのでご注意を。他にもいろいろ持参しております」
「その説明は後でいい。他には」
「邑内に同志が潜伏しており、内外呼応して開門させる手筈となっております」
「分かった」
 リューンはすくと立ち上がった。
「予定より早いが、動き始めるぞ。全軍に通達しろ。スウィズ軍が到着する前に、夜陰に紛れて川まで退け。そこで二隊に別れる。──募兵尉」
「はっ」
「卿は募兵を率いてスィスニアへ戻り、跳梁する賊を征討し邑内の風紀を正せ」
「了解しました」
「残りの者は我と共にスウィズへ向かう! 急げ!」
 号令一下、部下達はすぐに散っていった。
「フェイティエンとやら。貴公は何を望む?」
 二人だけになってから、リューンは問うた。
「ディヤウス神殿の造築を。そしてライル社の滅亡を」
(よし)。共に来い。さすればその願い、叶うであろう」

「昨日までは確かにいたのですが、どうやら夜のうちに陣を引き払ったようで」
 シーラン兵吏長はスウィズ兵局長ディグ・カイルに説明した。カイルは頷く。
「軍師殿の策が図に当たったようですね。後背の兵站を断たれたスィスニアはすぐに退くに違いないと、ハデン殿は言っていましたから。もう、シーランが攻められることはないでしょう。念のため私が派遣されたわけですが、無駄足で済んで本当に良かった。強行軍で来ましたので、一日だけ、宿をお借りしたいと思いますが、よろしいですか?」
「もちろんです」
 シーランの兵吏長は喜んだ。
「それくらいで済むなら、いくらでも。これからも宜しく頼みたいと存じます」
「どうぞ末永く」
 スィスニアが川を下って攻めてくる可能性もあるなと、社長室を出るときにハデンが呟いたのを、彼は覚えてはいたが、まさかそんなことはあるまいと思った。

 その次の日の朝、スィスニア軍はスウィズに到着したのだ。
「そんな、馬鹿な……」
 ハデンは思わず呻いた。一番可能性が低いと思っていた。スィスニアの背後にはウォウルが居るではないか、……しかも、蒼龍紅蓮団はうまくスィスニアを撹乱しているとの報も入っている。なのに──なぜ、スィスニアはここにいる?
 だが、ハデンは凍り付いたまま時間を無駄にするようなまねはしなかった。ただちに兵局次官ナーズ・ハクユウを呼び出し、弐軍を率いてスウィズを閉鎖するよう指示する。
「しかし、お前でも読み違えることってあるんだな」
 ハクユウは心から意外そうに言った。
「読み違えた訳じゃない。選択肢の一つとして考えてはいたが、一番可能性が低いと思っていた。読み違えたと言うより、相手があまりにも常識がないのだ」
「で、オレはどうすればいいんだ? 防御戦なんて、オレの性には合わないぜ」
 ハクユウの良さはその攻撃力の凄じさに尽きる。勢いが全てな男といってもよい。また戦況も読めるため己がいつ動くべきかもわかっている。要するに夜戦向きの男なのである。
「兵局長が戻るまでもちこたえろ……と言うべきところだが、実は試して貰いたいものがある」
「また兵器か」
「前回のような無様なことにはならん。研究者がナタケにこっぴどく叱られて一発奮起したらしい」
「……あのナタケ様が、叱った?」
「珍しいだろう? ……とまあ、そんなことはどうでもいいが、ともかく試してみてくれ。たぶんあれだけでスィスニア軍を滅ぼせるほど超強力だ。それと、兵局長はスィスニアに向かわせることにした。どうやらスィスニアは多少の犠牲は覚悟の上でまずスウィズを潰す腹らしいからな」
 しかし、なぜウォウルが動かないのか? スィスニアを討つ絶好の機会だというのに。まさかウォウルとスィスニアが示し合わせているのか? いや、そんなことはありえない。ならば、なぜ……?

「門は閉じられてしまったな」
 リューンはスウィズの城壁を臨んで言った。とりあえず遠巻きに眺めている。近づいたら何をされるのか分かったものではない。
「ずいぶんと高い城壁だな。ウォウルより2割ぐらいは高そうだ。石は直方体を積み重ねた平積み式だな。あの、ところどころに開いている穴は何だ」
「眼口です」
「眼口? 偵視用か」
「違います。弩の発射口なんですよ」
「弩? 弓のようなものか」
「弓を台に固定したものです。ひきがね一つで弓が発射できます。狙いを定めるのも容易で、扱う人の技巧によって命中率に差が出ることもありません」
「便利そうだな」
「ロマンの欠片もない、人殺しの道具です。威力は強力無比です。試してごらんになりますか」
「いや、やめておく。……それを避ける方法はないのか」
「夜なら闇の中ですから、さすがに命中率は落ちると思いますが」
「こっちも避けられない。しかたない、突撃するか」
「正気ですか?」
「呼応して門を開いてくれるのだろう? ……実は我が軍も工作員を潜入させていてだな、弓の弦を切って武器庫に火を放っておけと言ってあるのだが、さすがに警戒は厳しいようだ。……うまく協力してくれると良いが」
 その時、城壁より上にうっすらと黒い筋が立ちのぼるのが見えた。……煙か!
「将軍、図に当たったようですよ」
 フェイティエンに言われるまでもなく、リューンはそれに気づいていた。
「よし、今こそ突撃の好機だ」
 先日渡された剣の柄先に、竜眸石をはめこむ。それを懐にしっかりとしまうと、リューンは全軍に下知した。
「これより施術宝器による人民の殺人兵器化という非人道的行為からスウィズの人民を解放する! スウィズは宝器の力をもってセルフィアーに覇たろうとしているが、その宝器の力は気流を病ませている。いずれは我らがスィスニアをも蝕むであろう。それを望まぬのであれば、我につづき、その力を示せ!」
 そして真っ先に馬を駆って走り出す。兵達はそれに続き、とくに士官達は慌ててリューンの脇につけた。
「危険です。狙い撃ちされたらどうなさるおつもりですか」
「当たらんさ」
 というのは、半ば本気で言っている。スウィズを潰せば、ナーラダの居地のうち南部すべてを領有することになる。そうすれば当初の額面通りウォウルを倒すのも夢ではなくなる。この一戦がすべてを決めるのだ。
 踊らされてここまでやってきて、何のために戦うのかわからぬまま行を共にする多くの兵たちも、最高司令官が真剣に戦っていればついてくるものである。兵は日頃の訓練も装備も重要だが、何よりも戦わざるを得ない状況に追い込み、勢いに乗せるのが最上だということをリューンは知っていた。そのリューンを、城壁上のハクユウは眼にした。どうやらあれが総大将か。
「撃て!」
 新しい弩がいっせいに放たれる。連弩ライル壱式である。矢を一つの台に10本装填し、いちどに10本の矢を射れるようにしたものである。
 大量の矢が降り注ぐ……だが、それはリューンにとどく遥か前でぽとりと地面に落ちた。考えてみれば当然のことで、1本の幹と弦の力を10本に拡散しているのである。
「やはり駄目か……しかし」
 光牙矢を装填する。射撃力は弱くとも、これなら標準以上の殺傷力が見込めるはずである。
「撃て!」
 もう一度射た矢は、こんどはリューンの腕をかすったが、傷つけるでもなくまた同じように地面に落ちた。
「何故だ? 宝器が効かないのか?」
「次官、門が開けられています!」
 悲鳴に近い声がかけられた。
「何?」
 ハクユウは思わず身を乗り出した。きっちりと固めておいた北門ではなく、南門が大きく開け放たれている。リューンを先頭とするスィスニア軍は、そちらのほうに移動をはじめた。
「門を開けた奴は誰だ! 探せ! すぐに門を閉めろ!」
 叫んでも聞こえるはずがない。ハクユウは急いでそちらへ向かった。入ってくるリューンと目が合った。
「ナグモ・リューン殿とお見受けする。勝負せよ」
 言いつつ、大刀をさしだす。リューンは槍をめぐらせた。
「宝器の威を借る三下に用はない。自分にふさわしい相手を探せ。……ハデンはどこだ。ライル・ナタケでもいい」
「あいにく、オレは三下じゃない。兵局次官、ナーズ・ハクユウだ」
「そうか、やはり三下か」
 などと無駄なことは言わず、リューンは瞬く間にスウィズの中央部へと馬をとばしていた。スィスニア主軍は何と言っても数が多い。それに乱戦になってしまっては、スウィズの者といえど派手な施術宝器は使えなかった。ハクユウは斬って斬って斬りまくった。もはや100人斬ったか200人斬ったかわからない。それでも脱け出すことはできなかった。部下達は次第に数を減らしていった。彼らの剣には、普段の輝きがなかった。その彼らの目の前で、次々とライル社の施設が破壊され、あるいは活動を停止させられていった。黄色い縁のついた白い服に黒帯をしめた連中の手によって。

 スィスニアがスウィズと交戦しているとき、ウォウルはイレーヌからの使者をむかえていた。イレーヌには竜骨樹という特産品がある。かの邑の戦士たちは竜骨樹の棍をふるって戦う棍法の習得者が中心となっており、邑宰も必ずそれを修めることになっている。つまりナーラダでも随一の武の邑なのだ。
 当然ウォウルに黙って従うはずもない。いろいろと無理難題を持って現れたのである。やれ湖底遺跡ティイセニラの神器をよこせとか、帝国最後の都スイモミスクの設計図をみつけてこいとか、海の結界を外せ、等々。どうやらイレーヌの今の邑宰はかなりの歴史オタクのようだった。
「……断ったら戦うぞ、断ってみろ、という意志表示だとしか思えないんだが」
 ヴィレクが呆れたように言うと、ジグトも頷いた。
「むろん、そうでしょう。ですが今のウォウルは、背後にスィスニアという大邑をひかえています。しかもそのスィスニアはナグモ・リューンとかいう好戦的な男が牛耳っている。スィスニアを逃れた邑宰たちはわがウォウルに……困った情勢ですね」
 と言いつつまったく困った様子はみえない。どうせならこの状況を上手く利用して最大の利を得ようとしている。
「どうも、最近ジグトと考え方が似てきたような気がするな」
「では、王は、最近どんなことを考えてるんですか?」
 レザー・ウェルは、思わず訊いていた。使者の話は退屈に過ぎた。せめて、ヴィレク王の声を聞きたい。
「そうだな。イレーヌは簡単には膝は折らないだろうけど、だからこそ是非ともウォウルの麾下に組み込みたいね」
「どうしてですか? あんなに強い邑がきたら逆にウォウルがイレーヌに取り込まれるかも……」
「それならそれでいいんだ」
 ヴェレクは頷いた。
「王制……少なくともこのヴィレクが考えている王制っているのは、要するにナーラダのなかで一番ふさわしい個人に王という権力を与えて全土を治める、そういう体制なんだ。きっとイレーヌの人には適職な人が多かろう」

というわけで、戦が始まったのだが、東の戦が大いくさなだけに、西の対イレーヌ戦はどうも牧歌的であった。状況だけ簡潔に説明すると、全軍見守る中少年と少女とが決闘し、ヴィレクが勝ってかたがついてしまったのである。この「戦い」のもようは、後生よく講談などのネタになったが、今回は紙面が尽きたので、詳しくは描かないことにする。

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