会誌-「サークル水月会誌 第5回」
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■ リアクション5−3 (独立暦401年水の月) 理想と現実とは、つねに整合してゆけるものではない。否、その一歩を踏み出す前に潰え、単なる妄想と化すことがほとんどだ。そして最初の山を越えることができたとしても、度重なる苦難への対処に力尽き、やっと理想が叶うと思ったときにはその理想も形を変えていたなどというのは珍しくもないこと、しかしその理想が真に強く揺るがなければ、天道すらもそれを助けるものだ。 ヴィーシアはそう信じている。そのためであればどのような労苦も厭わないと。 しかし、それでもどうしようもないことはある。一万五千の難民を迎えては、ジュシーでは収容しきれないし食糧が不足するだろう。医者も足りない。手は打ってあるのだが、どうもタイミングがずれてしまいそうだなと、ヴィーシアはため息をついた。 「どうしたんですか?」 扉を開けて入ってきたティン・セフィルが気遣わしげに声を掛けた。 「いや……なかなかうまくはいかないもんだなァ、と思って」 「そうですか? 上手くいきすぎるほどだと、私は思いますけど」 「うん、全体としてはそうだけどね。……難民のことだよ。あと何日で到着する?」 「2週間以内に着くんじゃないですか」 「それだよ」 ヴィーシアは手元の書板を指さした。 「試算の結果。食糧と建築資材、それに薬がいくら必要になるか、少なく見積もって1日でこれだけ。金はあっても、これだけの量のものを取り扱える財才のある人、今、いないだろ」 「そのためにフェルノ店の人に頼んだわけですよね」 「いつ来るんだ?」 「今日にも到着しますよ」 との声に二人が振り返ると、銀髪長身の戦士体型に長衣をまとった青年が立っていた。 「やあ、外吏長、帰ってたのか」 「外吏長って呼ばれると、私じゃないみたいですね。照れるから、これまで通りロア、でいいですよ。で、難民のことなんですけど」 「ああ、何日か前に木簡をどっさり持ってったよね。あれ、何に使ったんだ?」 「あれですか、あれは難民証明にしたんですよ。いずれ、身分証を出すときに、それと引き換えるようにすれば援助しやすいかなと思いまして」 「なーるほど! よく気付くね」 ヴィーシアは膝を打った。 「して、フェルノ・クーレーン氏の方は?」 「ついでに連絡とっときました。何でも、アヴィーナの方は一切引き払ってバルスに移るそうです」 「ええっ? 全部?」 「そのようですけど」 ヴィーシアとセフィルは顔を見合わせた。 「そりゃスゴい。二人揃って出迎えなきゃだね。ロア、水路で来るのか?」 「はい」 「んじゃ、行こうか。港まで」 蜘蛛会を捨て、アヴィーナを捨て、長年拠点としてきた本店を捨てる。随分と思いきった決断であったが、フェルノ・クーレーンに迷いはなかった。サティス・アイセンに先を越されてしまった以上、アヴィーナでは活動の進展は望めないことが明白であったからだ。輔佐のリヴィットは当初はあれこれと反論しようとしたが、考えを変えられぬ事を悟ると、一転して活発に動き始めた。アヴィーナを発ってからバルスに着くまでの僅かな間でも、情報収集に余念がない。 「店長、イレーヌ近辺で食料の価格が暴落を始めたようです」 「この時期にか? ふつうありえんぞ」 「戦乱がすぐ来ると思ってためこんでおいたのを、一挙に放出したようですよ。米は古くなると味が落ちますから、その前にと思ったんでしょう」 「うむ……バルスでは難民を受け入れるらしいな」 「その為の食糧の確保はできているんでしょうか」 「こっちでしといてくれると有り難いと言ってたな。……リヴィット」 「了解しました」 そこいら辺が我々の仕事になるだろう、とは考えていた。ならば手を回すのは早い方がいい。 「クーヴェル」 リヴィットは一人の男を呼んだ。ナルスの、老年にさしかかろうと言う男だ。 「は」 「聞いてただろう。お前に任せる」 「かしこまりました」 それからしばらくは、それほど大きな情報はなかった。お陰でゆっくりと構想を練ることができた。芸術と平和の邑バルス、大昔はともかくとして今の世にそれを実現しようというのだ。並大抵のことではあり得ない。そのために財政長官としてすべき事は何なのか、良く考えておきたかったのだ。 「お初にお目にかかる。私がバルス邑宰のヴィーシアで、こっちが丞のティン・セフィルだ。以後宜しく」 そう言って笑ったのは金髪の妖人の女性だった。噂には聞いていたが、とフェルノ・クーレーンは瞠目する。 当代に英雄は数多く萌芽しはじめている中で、かように地味で派手な野望を抱く変わり者。いや、守るべきものを見出した人。そしてそれを扶けようとする銀髪の女性との対比はとても鮮やかな印象を与える。だが利害損得に関心はなさそうだった。当たり前だ。世にもっとも金になるのも芸術なら、無駄に金を遣うのも芸術。芸術に魅せられた者の夢想を現世にあらわそうというのだ。私のような人間が財布の紐を締めていかねば、あっという間に破綻するだろう。 「こんな道端で立ち話もなんですから」 というわけで挨拶はそこそこにフェルノ・クーレーンとリヴィットは「銀のたてごと亭」に連れてこられ、残りの者たちは適当に宿を求めて荷を運び込んだ。仮の邑宰邸となったこの食堂には今は大きな書板が置かれ、積み木のようなものが並べられている。 「バルス建邑の進行状況です。まず城壁から組み始めているのですが、なかなか進まなくて」 「バルスの大きさはジュシー並ですよね。ならば城壁の建築にかかるのは普通半年くらい。確かスウィズがそのくらいだったとか」 リヴィットが言う。 「なのにこれだけしか進んでいないということは、よほど凝った作りにされている、と」 「その通りです。そこら辺は徹底的にこだわっていますから」 「こだわるのは分かりますが、これでは他のことに着手できませんよ。とりあえず木の柵でもつくってアタリをつけておいて、後からじっくりと着手なさっては如何ですか」 「そうですね」 「それに、ヴェルーダの難民の住む家は、確保できているのですか」 「一応、アカドゥの方に資材の切り出しに行かせていますが」 「そちらを優先させたほうがいいでしょう。急務と言っていい。水の月に入ったとはいえ、まだまだ夜は冷えます。まして怪我人や病人も多い」 「分かりました」 ヴィーシアは大きく頷いた。 「我々が第一に考えていることは、芸術の保護。しかしそれに囚われるあまり、何を優先すべきかの判断がおろそかになることも多いと思う。あなたにはそういう時、我々に指針を示して欲しい。……宜しくお願いします」 こちらこそ、とフェルノ・クーレーンは頭を下げた。財政長官として何をすべきか。貨幣改革でもするか、などと考えていたのだが、どうももっと基本的なところから広範に手をつけなければならないようである。だが、制約は少ない。アヴィーナよりもよっぽど自由な活動ができるだろう。それでよしとすべきであった。 「あれ、何やってんの、ヴィラ? ああ、またお勉強か……」 ヴィルザートの前には一杯の水とひときれの木簡がある。ダナスはため息をついた。 「そんなに熱心じゃ、息がつまっちゃうよー。せっかくの旅なんだからさー」 アーガ・ファルナ改めファルナ=イシャーナの件を何とか丸くおさめた二人は、またも旅に出ている。その船中でも宿題を忘れない、生真面目なヴィラである。 「レポートだね。……『水以外で眼病は治癒できるのか』?」 「はい。ツィー先輩は、いつも水でやってたんですけど……」 「一番楽なのは水だね。けど、綺麗な水がないとこでは困るね、たしかに」 「なにか方法、わかりますか? いろいろ思いつきはしたんですけど、どれも結局、さいごに洗い流さなきゃいけなくて……」 ヴィレールトやその他星薬会上層部の人々には「どうしようもない怠け者」として認識されているダナスであるが、実のところ彼の薬に関する造詣はきわめて深い。誰に教えられるということもなく、実践のみの積み重ねによって得た知識だ。もっとも、アヤしいものや役に立たぬものも多いのだが。 「そうだね……目は特殊な部位だからねえ。ま、根本から体質を改善すればしぜんに治る場合もあるけど」 「でも、それって眼病じゃなくて全身の病気なんじゃ」 「眼病と思われてるのにもそういうの、結構あるよ」 「え? どんなのですか?」 「灰腫とか、果水目とか、調乾とか」 「え〜っ!! 有名な眼病じゃないですかぁ」 「病気なんてそんなもんだよ。気の乱れや濁りが、身体を悪くするのが病気なんだから」 「気の乱れや濁り……」 その言葉を聞いて、ヴィルザートは星薬会を出るときに聞いた話を思い出した。 「どうやら、大変なことになっているらしいんだよ」 ヴィレールトは二人に開口一番、こう言った。 「ヴェルーダという街が壊滅したのは、知っているか?」 「噂でなら。何でも邑宰が道士で、自爆したらしいですね」 「ああ。それだけならまだいいんだが、なまじそいつの力が強かっただけに……」 地気が大いに乱れた、とヴィレールトは顔をしかめた。 「地気が乱れるとはどういうことか、わかるか?」 「確かこのアプサラス地方が湿原になったのは、ティト様とメリル様の力でしたよね。その前は砂漠だったとか」 「そう。乾燥した砂と岩ばかりの大地を、水に溢れる地に変えたのはお二方の大いなる奇跡だが、逆もしようと思えばできるわけだ。地気を変えれば」 「砂漠になっちゃったんですか?」 ヴィルザートは心配そうに眉を寄せた。ヴィレールトは首を横に振った。 「いや、そうじゃないんだが、どうやら火の気を散じてしまったらしい。だから、とんでもなく寒くなった。ヴェルーダだけ、まるでツァンの地のように寒くなって、そして」 「人の体にも影響が出たんだね」 ダナスが言うと、ヴィレールトは頷いた。 「こういう例は初めてだから、我々でもちゃんとした対処が出来るかどうかは保証しかねる。まして、患者は家を失った難民だ。星薬会も利益団体である以上、僕の一存で勝手に助けるわけにもいかない。どうしようかと思っていたら、ヴィーシアから連絡が来てね」 「ヴィーシア!? バルスの!?」 ヴィルザートとダナスは顔を見合わせた。 「……知り合いなんですか?」 「一時期、僕の弟子だった。ま、薬師としても医師としても適性はなかったけどね。……とにかく、かかった費用分はバルスが持つから、人と薬を送ってくれってさ。どう? 君たち、行って来ないか?」 「待ってましたあ〜」 ダナスは妙に調子をつけて躍り上がった。 「そういうことなら、もう、喜んで。ちょーどバルスに行きたいと思ってたし、ね」 ということで二人はバルスへと向かったのだ。先発隊ということでとりあえず持てるだけの薬品と、そして五人の医師がついてきている。中堅どころの、これからという実力派ぞろいだ。 ジュシーに着き、「銀のたてごと」亭にたどりつくと、ヴィーシアもセフィルもロアも留守だった。すでに難民は到着し、その対応のために建設中のバルスに行っているという。そこで彼らはのこのこと歩いてそちらへ向かった。 「この人たち……全員、難民?」 絶句するしかなかった。一万五千人。殆どの人が黒髪だから間違いないだろう。皆、一様に憔悴しきっている。脚を引きずっていたり、腕をつっている人も多かった。 「おや? 喧嘩かなあ」 ダナスが呑気そうな声で言うので、そちらに目をやると、大男と中肉中背の若者が向き合って何事か怒鳴っている。 「てめえっ。今、何て言いやがった? 誰が泥棒猫だってぇ? もう一度言ってみやがれ!」 「応、何度でも言ってやるぜ。てめえは薄汚え泥棒猫だ。けっ」 「つ……唾吐きやがったな! 上等だ、せっかく拾った命を無駄にするたぁな!」 「お、やろうってのか。いつでも相手になるぜ。デカいだけの奴なんかに負けやしねえ!」 「……両方ともグーにしてて、殴り合いになりそうだよ。止めたほうが良いんじゃないですか?」 ヴィルザートなどは他人事ながらハラハラしている。ダナスは、 「仕方がないよ。知らない土地に長旅して移ってきたら、誰だってイラ立つにきまってるし」 いざ、大男が拳を振り上げたところで、その手を後ろからはっしと掴んだ人がいた。 「誰だぁ? 事と次第によっちゃあ……」 と言いかけ、口をつぐんでしまう。銀髪の美しい長身の女性だった。 「よろしければ、事情を話してくださいませんか」 「……邑宰丞」 切れ長の瞼からのぞく澄んだ青紫色の瞳に見つめられて、男二人はうなだれてしまった。セフィルは穏やかに言い聞かせる。 「お二方とも、この場は私に免じて引いて下さいませんか。我々の対応も決して十分とは言えず、それがこうしてご不満を招いてしまったのでしょう。今後はどなたにもご満足いただけるように手を尽くしていきますので、どうかご勘弁下さい」 「いや、あの……」 「どうしてもご不満がおありでしたら、私闘などなさらず、私たちに訴えてください。今は、誰もが大変なときですから。……よろしいですね」 「はい」 「そちらの方は?」 「……異存ありません」 そうですか、と呟くと、彼女は視線をこちらに向けた。にっこりと笑う。 「星薬会の方ですね。お待ちしていました。私がバルス邑宰丞のティン・セフィルです。こちらへいらして下さい。ヴィーシアもいますから」 仮の住宅が立ち並ぶ中を抜け、一軒だけきっちりと立っている建物に入る。カラヴィンカの神殿の本殿だった。正面には神々しい神王の像が置かれ、ホールには布団が並べられて重傷者や重病人が寝かされている。我々はこちらを診ましょう、と同行の医師達は申し出、ヴィルザートとダナスだけが鑑間へと入った。 セフィルは部下らしき女性に書簡をいくつも手渡した。何ですか、と問うと、支援者に進行状況を報告するのだという。 「見ての通りの状況なんだ」 ヴィーシアはため息をついた。 「ヴェルーダのえせ邑宰ってのは、よっぽどの霊力の持ち主だったらしいな。体温の低下と、あとは怪我。何となく体調が悪くていらいらしてる人もいる。落ちついてきたら、バルスの建邑を手伝って貰おうと思ってる。だから、星薬会の人達にはそのためにも早くみんなを治して欲しいんだ」 「それだけじゃないですけどね」 ロアが口をはさむ。 「私は、バルスに星薬会の支部を作ってもらおうかなと思っているんですよ。星薬会の自治区はセルフィアーの東の端ですから、こちらにも大きな支部があれば、活動し易いんじゃないかと思いまして。……それに、かきごおりも食べたいですし」 「まだ寒いけどね〜」 ダナスが茶々を入れた。場が和む。 「かきごおりのことはともかく、支部のことは僕たちじゃ決められませんけど、もう一度アプシーズに戻って、聞いてみます」 ジュシーとバルスを往復する日々が続く。いまだ城壁のないバルスには防犯上、あまり沢山の人を入れるわけにはいかない。作業員とヴェルーダの難民とバルス精鋭部隊の他には、まだ殆ど人が居ない。だがもう一節もすれば、仮の防壁も完成し、主道の建設にも着手できるだろう。すると、商人の呼び込み等も始めるべきかな、と思いつつ歩いていると、前方に人だかりを発見した。 あの旋律だ。忘れもしない、十二弦琴の。 ヴィーシアとセフィルは顔を見合わせ、その輪をわけて入っていった。 「やあ、また会ったね」 という声に顔を上げると、黄金の髪をした女が立っていた。 「……お前か」 ちょうど演奏を終えたところらしい。投げられた貨幣を拾い集め、琴をケースにしまう。 「また、食事?」 「そう、つれなくしないでよ。食事でもいいけどさ、話を聞きたい」 「それに、バルスの セフィルが後ろから言う。イーヴ・セストは顔を上げた。 「あなたが?」 「お手伝いいただきたいんです。よろしければ」 「十二弦琴で?」 「それもいいですね」 「そういうことなら、乗ってもいい」 ケースを小脇に抱える。 「『銀のたてごと亭』まで、ついてきてくれるか?」 セストは頷いた。 「別に、あなた方が嫌いな訳じゃない。バルスには興味があるし、音楽は好き。ただ……神殿と近づきすぎるのが、少し気になっただけだから」 出された茶を飲みながらため息をつく。 「何で、そんなに神を嫌ってるんだ?」 ヴィーシアは興味津々といった態である。 「じゃああなたはなぜ神を信じる?」 「別に信じてるとか信じてないとかじゃないんだ。美しいものは好きだし、美しいものを守ってくれる、見守ってくれるのなら奉るのは当然のことじゃないかな」 セストはちらと彼女の面を見て、また目を伏せた。 「神の存在自体が信じられないわけじゃない。ただ、信ずるに足りない存在だ、そう思ってる。信じたからって人を救ってくれるわけじゃない。ただ、どこかにいるだけのものだと、……そう、思ってる」 なにか深い事情がありそうだったので、ヴィーシアはそれ以上詮索しないことにした。 「で、協力してくれるんだよね」 「ああ。……しばらく、この唄と琴を持って旅してくる。少し、支度金をくれるとありがたい」 「貴方の腕なら、必要なさそうだが」 「琴の弦を張り替えたい。せっかくの機会だからね」 「そういうことなら。……じゃ、頼んだよ」 「期待に添えるよう努力する」 微かに笑って、彼は亭をあとにした。 |
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